旧約時代に神は、イスラエルの民に預言者を通して啓示を与えられました。神は全能な方ですから一瞬にして、しかも疑いようのない仕方でご自分を人々に表すこともできたはずです。しかし神はそうはなさらずに、ご自分が選ばれた人間を通して啓示を与え、ご自身を表されました。しかし、人々はそれを受け入れずに、啓示を受けた預言者を迫害してきたのです。旧約時代には、イスラエル民は神の啓示を受け入れることもありましたが、またそれに背くといったことの繰り返しがよくありました。
神は最終的な啓示者であるご自分の一人子を送られましたが、祭司長、律法学者、長老たちは受け入れませんでした。イエスはぶどう園のたとえをもって、このようなことを鋭く指摘されたのです。彼らはイエスに対して今は手を出すことができません。しかし、彼らは、最終的にイエスを十字架につけて殺害してしまいます。しがし、その捨てられた石であるイエス・キリストが隅の親石となって、救いのわざを完成されたのです。
鈴木英史
|