「悲しんでいる聖人は聖人ではない」と言ったのは確か喜びの聖人フィリポ・ネリだったか。聖ヨハネ・ボスコも常に子供たちに「喜びなさい!」と勧めていた。
キリスト教の本質は、喜びにある。一見、十字架を提示するゆえに苦しみが協調されているように思われるが、最終的な目的はやはり喜びなのである。
なぜなら、苦しみを通ってキリストが復活したから。そのキリストはいつも私たちと一緒にいてくださるから。
「わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。」ヨハネ16:22
YS
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