「わたしの話した言葉によって、あなたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。」
わたしたち人間はイエス様の話した言葉によって既に清くなっていますが、さらにイエス様や父なる神と距離を縮めるためには清めが必要かと思います。しかし清めのために何が必要なのでしょうか。大切なのは「つながっている」ことではないでしょうか。
イエス様は自分自身をぶどうの木にたとえ、わたしたちをその枝だとおっしゃいます。枝は木(幹)につながっていなければ養分を得ることができず、育ちません。枝がよい実を結ぶためには木とつながっていることが必要です。わたしたちが育つためにはイエス様の言葉がわたしたちの内にいつもあり、その上で望むならばその望みはかなえられ、豊かになって、父なる神は栄光をお受けになると、今日の福音の最後に書かれています。
「つながっていること」。これが重要ですが、ただつながっているのではなく、実を結ぶことを望んでいくことが、神の栄光へとつながるのでしょう。
fsdb
|