今日は、世界で初めてのキリスト教の大聖堂が献堂されたことを記念する日です。このお祝いを通して、私たちはパウロがその手紙の中ではっきりと指摘している通り、私たち自身も神の建物、教会、神殿であることを改めて自覚するようにしたいと思います。
私たちは神様が住まわれる神殿であり、そして神様の霊が私たち一人ひとりのうちにおられることを感謝すると同時に、私たち自身がそれにふさわしいものとなっているか振り返るように致しましょう。果たして神様は私という神殿のなかで、ゆっくりとくつろいでおられるのか、はたまた、いろんな余計なものがあふれている心の中で、窮屈な思いをされているのか・・・
そうじ研究者の舛田光弘さんは、こんなことを言われています。「あなたの部屋、それはあなた自身です。」と。自分の部屋は、目に見えない心の状態を表しているとのことです。それだけでなく、その人の人生や生き方、考え方、長所も短所も表されているようです。つまり、お部屋の中が余計なものであふれているとすれば、心の中も同じく余計なものであふれていると考えられるわけです。
今日の福音のエピソードでは、聖なる神殿が余計なもの、思いであふれかえっている有様をみて憤られたイエス様の姿が示されています。神殿に余計なものがあふれていただけでなく、本来神殿にあるべき「信仰」を見い出せなかったことも悲しかったのでしょう。
私たち自身が神様の神殿であり得るのは、私たちの信仰によるものと言えるでしょう。だから私たちは、信仰を深めることによって、神様が住まわれるのにより心地よい所となり、神様を温かくもてなすように致しましょう。
mickey sdb
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