祝祭日・記念日 固有の福音朗読

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朗読者:石川裕美
46      11月2日 死者の日 ヨハネ 6・37−40
 
 恐れ、深い悲しみ、時として神への不信すらも覚えさせる死。私たちにとって死にはどのような意味があるのでしょうか。死はすべての終わりではなく、罪のしがらみに捕らえられた古い人が死に、キリストによって約束された新しいいのち、真のいのちに生まれる。キリストはご自身の死と復活を通してこのことを証しされました。だからこそ、私たちは「死ぬ者」ではなく、「新しいいのちに生きる者」となれる希望を持って毎日を過ごしているのです。
 
 自分にとってかけがえのない大切な人を失ったとき、悲しみのどん底に突き落とされたようになります。あのマザー・テレサでさえも、愛する友人を失ったとき、「神さまの心がわからない」と、おっしゃったそうですから。このように死はいつも理不尽そのものです。
 
 でも、その悲しい事実があったからこそ、相手の存在のかけがえのなさに気づいて、その人が生きていたとき以上にいとおしく感じたり、生前の相手に対しての自分の至らぬ接し方を申し訳なく思いながら謝りたくなったり、相手のことを寝てもさめても思い続けるようになるものです。死に別れてかえって、絆が深まるわけで、そのとき私たちは、より新鮮に個人との出会いを始めているのです。
 
その意味で、愛する人、親しい人の死に接し、残された私たちにも大きな恵みが注がれています。悲しみの中に隠されていますが、愛する人の死を通して、愛によって互いに深く結ばれているがゆえに今の自分があること、神が真のいのちへの希望を示してくださったことにやがて気づかされます。
 
 今日のヨハネ福音の中で「わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである」とキリストはおっしゃっています。彼と出会う人々すべてがひとりも失われることなく、新しいいのちに入ることこそが天の父のみ旨であることを、今日のみことばは明らかにするのです。嬉しいメッセージではありませんか。
 
パオロ
 
11月2日 死者の日 記 ヨハネ6・37−40.mp3
 

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Last updated: 2014/10/13