主の受難と復活を描いた映画作品「パッション」を観て、改めて気付かされた事の一つは、十字架刑の残酷さでした。今はもう死刑で十字架刑を施行しているところはないでしょう。それはあまりにも残酷で生々しい刑だからでしょう。
ところが神様は、人間が編出したあんなにも惨たらしい死刑の十字架を「御自分の独り子をお与えになったほどに世を愛された」、その愛の力によって聖なるものと全く逆のものへと変えられたのです。今は『十字架』と言うと、むしろ尊く、清い、聖なるシンボルとして大切にされており、そこに不思議さを感じます。この神様の業はまさに称えられるべきことで、感謝すべきことです。
十字架称賛の祝日にあたり、人間の醜さや愚かさ、罪や過ちでさえも、御自分の愛の力で聖なるものへと清め、十字架によって「死」ではなく、「永遠の命」を私たちに与え、救いをもたらしてくださる神様に、感謝の祈りを捧げるように致しましょう。
mickey sdb
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