マグダラのマリアと言えば、映画「ダビンチコード」で世の中でもかなり認識されるようになった聖女です。大昔から、復活したイエスに一番初めに出会った人として、尊敬されると同時に嫉妬され、人間のごく自然な傾きから、イエスとマグダラのマリアのロマンスを語られもしてきました。
今日の朗読である復活のシーンは、とても心を動かされるところです。復活したイエスを園丁だと思っているマリアが、自分の名前を呼ばれてイエスだと気づく。私たちは、何か特別なことの中に真実があるとどこかで思ってしまっているような気がします。しかし、本当に大切なことは特別なこと以上に日常の中にあり、日常の中で何気なく繰り返されていることに真実があることが多いようです。
数え切れないほどイエスから呼ばれたであろう自分の名前を呼ばれたとき、マリアが今自分が出会っているのが誰であるのかに気づいたということは、大切なことに気づく鍵はやはり日常の中にあることを、私たちに教えているように思われます。そして、私たちも、何か特別なときであっても、日常で出会っているのと同じように神と出会うことになるのではないでしょうか。
John Goto
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