今日の福音はイエスの宣教命令です。しかし、イエスは弟子たちを送りっぱなしにはしません。「共に」働いてくださり、語ることばが真実であることを「お示し」になるのです。これほどの希望はありません。
しかし、同時に宣教は挑戦です。わたしたちが「自分」ではなく、「福音」を語るようにと招かれているからです。折がよくても悪くても、自分にとって心地よい言葉であっても、耳の痛い言葉であっても、自分が倣いたい「ひとびとから慕われるイエスの行ない」であっても、できれば避けて通りたい「イエスの十字架」であっても、何も付け加えずそのままに語り、そのままに生きるとき、初めて私たちの語る言葉・行ないはすべての造られたものに対する「福音」となるのではないでしょうか。
その思いを新たにして、今日の「出会い」を始めてみたいと思います。
G.M sdb
|