今日の福音書を読むと一目瞭然ですが、ヨセフは一言も語りません。新約聖書でも一度も語りません。寡黙な男だったのでしょうか?そうかもしれません。「男は背中で語る」とも言いますが、そのような男だったのかもしれません。かくありたいものです。まだまだ遠いです。どうしても語ってしまいますので。
多くを語らない男のかっこいい背中のイメージと共に、語らないヨセフのもう一つの側面は信仰です。見通しの悪い、いや見通しのないお告げに対して、黙々と生きていきます。神のみを頼りに、一つひとつ目の前にあることを生きていくヨセフの姿が目に浮かびます。
私たちの住んでいる先進国は、保証の世界であると言えます。あらゆるものに保証があり、私たちも保証を求めます。保険もまたしかりです。そして安心します。当然といえば当然、それが現実だということでしょう。しかし、私たちは保証と保険を得る代わりに、神に依り頼むことを置いてきてしまっていることはないでしょうか。「もう別に神さまはいらない」、そんなふうに無意識のうちに感じてしまっていることはないでしょうか。
本当の信仰を取り戻す一つの方法は、チャレンジだと思います。先の見えないチャレンジをどこかでし続けることは、信仰を保つのにもってこいです。それぞれの、そしてみんなの新しいチャレンジを探してみませんか?
John Goto
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