迫害のさなかにあって彼らの信仰は激しく燃えていました。厳冬期に京都から長崎まで、耳を切られた痛みを負いながら、約1ヶ月の時を掛け、命を捧げるために歩いて行きました。苦しみに耐え、信仰の証しをする喜びを味わいながら。
人間の精神の限界を超え、信仰の力に潔く大胆に堂々と身を捧げた彼らも、パウロと同じように神の内在を強く感じていたことでしょう。「わたしはキリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」と。
私たちも信仰を持って生きています。でも生きているのは、まだまだ「わたし」。わたしの内に生きておられるキリストはどれだけ生きているでしょうか。「わたしは世の終わりまで、いつまでもあなた方と共にいる」と言ってくださるキリストがわたしの内におられるのです。私たちも日々自己をお捧げし、キリストによって、キリストと共に、キリストのうちに生きることを目指しましょう。
mickey sdb
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