先日参加した中高生のキャンプのミサの中で洗足式を行った。司祭が生徒の足を洗うのではなく、全員がお互いの足を洗った。相手の足を洗うということは、相手を受け入れ、相手を許すということにつながる。この体験はキャンプに参加した一人一人の心に深く刻み込まれたことと思う。
聖体の制定を特に記念する聖木曜日に、最後の晩餐の場面ではなく、イエスが弟子の足を洗うこの場面が朗読されるということは非常に意味深いことであると思われる。イエスは、この行為によってすべての人を受け入れ、許し、そしてすべての人に自らを与える神の愛の姿を示された。この愛は聖体の秘跡の形を通して今も私たちに与えられている。
イエスに足を洗ってもらう自分を想像してみよう。自分は受け入れられている、許されている、そして愛されている。その体験こそが、私が相手を受け入れ、許し、愛する原動力になる。聖体の秘跡に力づけられ、主であり師であるイエスがそうされたように、今日私たちも相手の足を洗うことができますように。
MISSIN
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