わたしは思った、わたしはいたずらに骨折り、うつろに、空しく、力を使い果たした、と。(イザヤ49)
自分の仕事が軌道に乗り、すべてが順調に進んでいる時には、自分の生活に充実感を覚え、神様から祝福されていると感じることはたやすいことです。しかし、困難に直面し、自分の無力さを実感したり、自分の至らなさを痛感する時にも、現実をしっかり見据え、それを神様からの祝福ととらえることができるでしょうか。あるいは逃げ出したくなり、神様に愚痴を並べるだけでしょうか。
最後の晩餐の席でイエス様は今までのご自分の宣教活動を静かに振り返る瞬間があったかもしれません。民衆の無理解、指導者層の敵意を経験し、強がりを言うけれども意志の弱い弟子達を見て、自分の今までの宣教は何だったのだろう、と思ったとしても不思議ではありません。わたしだったらすべてを投げ出してしまうでしょう。しかし福音書を読むと、それでも落ち着いて自らの使命を果たしていこうとされるイエス様の姿がそこにあります。
私たちが困難に直面したとき、このイエス様の態度を自分のものにしたいと思います。
鳥越 政晴
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