たった一つの最も小さな掟を破るか、守るか。神の国においては、このほんの僅かな差が人々の評価に大きく影響するようです。「分っていても、努力していてさえも実行できないことが山ほどあるのに、たった一つ守れなかっただけで最も小さな者と呼ばれるなんて・・・私などとても神の国に入ることができないのでは」という嘆きの声が聞こえて来そうですが、どうか心配しないで。そういう方々こそ、神の国でお互いを支え合う必要があります。安心して神の国の建設に努めましょう。
神の国で評価を下げる要素は、掟を破ることそのものよりも、むしろ、人にもそうするように勧める態度です。こういう人は掟や教えを守る努力はしません。自分の弱さを克服しようとしないので、神の助けを必要としません。救いを必要としません。神の国とは、神の御旨が行われる場(=状態)のことで、つまりは救いが行き渡るための場(=媒体)でもありますから、救いを求めていない人々に対しては充分に機能しないのです。ですから、「自分たちは正しい」と信じて止まないファリサイ派や律法学者は、神の国に「決して入ることはできない」(マタイ5章20節参照)と言われてしまいます。自分が相応しくないと思ったら、・・・その時こそチャンスです。
Eno
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