「神さまの国は天国」、小さいときそのように教わった。その国に入ることが人生の目的であるとも教えられた。
ところが、イエス様は力強く宣言なさる、「神の国はあなたがたの間にある」と。裏を返せば、「神の国はわたし達の日常の中にある」と言われているのだ。神の国とは神さまの支配・導きが浸透しているところを意味する。神さまの支配・導きがわたし達の日常に及んでいることから、わたし達は日常の営みをどのように生きているかが問われる。イエス様はわたし達の日常が神の国となる手立てを教えてくれた。「人にしてほしいと思うことを、人にしなさい。」(ルカ6:31)「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者になりなさい。」(ルカ6:36)・・・。
わたしの日常の営みはわたしの信仰告白の場・ときとなっているでしょうか。日常を神の支配・導きの場・時となるように、隣人愛の実践が求められている。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタ25:40)
国松神父
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