今日の喩の中で不正な管理人が登場します。「この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口する者があった」のです。それは、彼の罪状書きです。ここで注意して置きたい事は、主人が叱責しているのは管理人の不始末と無駄遣いであって、盗みそのものではない事が分かります。物語の終り頃、『主人は不正な管理人を誉めた。賢明に行動したからです』とあります。イエスは決して不正行動を奨励しておられたわけではありません。イエスはこの管理人の抜き目のないやり方を誉めているのです。この管理人は自分の合法的な権限内で貸しのある人々の負債を減らしていました。これを理解する事が重大です。
イエスは大変デリケートなテーマに入り込んでいます。私たちは天の御父の管理人です。私たちのする事をことごとく御父に反映するのです。赦しの恵みこそ巨大な富ですが、罪を赦されるのは神様だけで、人が赦すのは冒?になります。しかしイエスは私たちに、他人を赦しなさいと言います。私たち人間もまた、神様の赦しの恵みを使うよう招かれています。人に犯す罪も、良く考えれば神様に犯す事だからです。私に犯された罪は、神様への罪でもあり、究極的には神様が赦す権限を持っています。しかし私に犯された罪でもある為、私が赦す分も与えられているのです。
私たち人間は神様の富を、まるで自分の物のように勝手に浪費しているので、私たち一人ひとりが、決算書を出せと迫られているのです。私に委ねられた恵みの使い方について、決算書を要求されている身です。多く委ねられた人は多く要求されます。
Fr.Tadeusz
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