「自分の持ち物を一切捨てないなら、わたしの弟子ではありえない」。
「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹、さらに自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない」。
「自分の十字架を背負ってついてくるものでなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない」。
今日のイエス様の言葉は、弟子となる者が持つべき覚悟は相当強いものでなければならないことを示している。イエスの弟子になる、イエスに従っていくということは、これほどに厳しく、ときに辛く苦しいことである。しかし、文字通りにではないにしろ、余計なもの、余計な考えを一切捨てて、ただイエスにのみ思いを寄せ、信頼をおいたときに見えてくるもの、何ものにも代えがたい喜びがあるのだろう。それを見てみたい。その喜びを味わってみたい。そう思いながら今日も信仰をもって歩んでいきたい。
Missin
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