ぶどう園の主人が植えたイチジクの実を探しに3年通っているというたとえ話が出てくる。次のように読み替えると味わいが違ってくるように思う。
ぶどう園の主人=父なる神様。ぶどう園=教会、または世界。イチジクの木=私。園丁=イエス様。父なる神様は私をこの世に、この教会に遣わされ、成果を待っておられる。しかし、何の成果も上げられない私。そんな私を見捨てないでと父なる神様に取り次ぐイエス様。そのイエス様はいろいろな手立てを準備して(御聖体、許しの秘蹟など)、わたしが実を結ぶよう取り計らってくださっている。
待ってくださる父なる神様、世話をしてくださるイエス様に感謝し、聖なる人となるよう、回心の道を歩み始めましょう!
国松神父
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