「私が来たのは、地上に火を投ずるためである」(ルカ12.49)
悪と妥協しないイエスの気迫のこもった言葉です。悪の世界を焼き滅ぼし、不純なものを焼き尽くす激しい憤りのようなものを感じさせる言葉です。
でも私は「火を投ずるために来た」というイエスの言葉に「信仰の火」「聖霊の火」をまず連想します。まさにイエスが来られたのはこの世に信仰の灯火をともすため、聖霊による愛の炎、希望の炎、平和の炎を燃やすためだったのではないでしょうか。幸いに私達にもその火はもたらされました。その火が罪と妥協したり無気力な生活に流されたりしてかき消されることがないよう大事に守りたいものです。
私達の中に点火された火は、日々み言葉を聞き思い巡らすことによってますます燃え上がるのではないでしょうか。イエスと共にエマオへ向かった二人の弟子は感動しながら言いました。「道で話しておられた時、また聖書を説明してくださった時、私達の心は燃えていたではないか」(ルカ24.32)。
坂梨四郎
|