今日の福音を読んでみると「ゆるしが先にある」ということがよく分ります。これは、ゆるしの秘蹟についても言えることではないでしょうか。こういうことを言うと「既にゆるされているのなら、秘蹟を受けることに意味がない」とうそぶく人が出てきますが、もちろんこれは間違っています。
あなたが母親で、必要があって幼い子をきつく叱ったと思ってください。子供は反省し、いつもどおりに甘えたいのですが「ひょっとしてお母さんは、まだ怒ってはいないかしら」と心配で、素直に甘えることができないでいます。そこで、「既にゆるしている」あなたは、「もう怒ってなんかいないからしんぱいしないで。お母さん、あなたのことが大好きよ」と一刻も早く伝えてあげたいと思うでしょう。神も同様です。ゆるす心と和解の成立とは、分けて考えなければなりません。「愛するだけでは足りない・・・」とドン・ボスコが言った、その理由を考えてください。ゆるしに関しても同じ公式が成り立ちます。愛と同様、ゆるしも伝わることによって初めて、絆を深める恵みとなるのです。
eno
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