「青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。」今日の福音に登場するこの青年の心の痛みは一番の黙想の種になるのではないかと思います。
よく考えてみれば、悲しみは必ずと言っていいぐらい、何らかの分裂から起こるものです。ここでは、神のみ旨と、この青年の人生設計の間の分裂が悲しみの原因となります。この分裂を無くすことができるのは無償な愛と寛大な心しかありません。ところが、青年は神の呼びかけを愛のしるしとして受け止めることが出来ず、億劫に感じとり、自分に歩めない険しい道のように思ったのでしょう。言い換えれば、彼は神の愛を拒んだのではないでしょうか。この青年は、結局、財産の方を重視することにしましたが、はたして、その財産は神の愛の拒みから生じてくる心の悲しみを和らげることが出来るでしょうか。
確かに、キリストの特別召命の道は険しい道ではありますが、景色がすばらしく、十字架の道ではありますが、復活への道であります。そして、心に平和を注ぎ、神との一致の喜びを感じさせる寛大さと愛の道でありましょう。
Achille Loro Piana
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