私たちは『キリスト信者』と呼ばれています。つまりキリストが歩んだ道をそのとおり、歩み続けようとしている者と言えるでしょう。そしてそのキリストは十字架の死と復活の道を辿られたわけです。ここに私たちの死生観があります。
だから私たちはイエスの特別な教えに心打たれ、感動して、その偉大さを学びとるということよりも、自分の弱さや欠点からくる悩み、他人からの誤解や無理解などの苦しみを受けとめながら、家庭人として、社会人としての務めを果たすことによって、自分に与えられた十字架を担うことができ、いつもキリストに従う者として歩み続けられるのではないでしょうか。
人生とは、まず自分が人として生まれたことに感謝し、より人として素晴らしく生きていく訓練を繰り返し、周りの人を徹底的に生かし、いずれ時が来たら、次の世代の人を生みながら、この世を去っていく、そんなものではないでしょうか。
パオロ
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