私たちは「自分の器」以上に恵みを受け取ることはできません。ですから、ある人に自分よりたくさんの恵みが注がれているのを見てうらやむのはおかしなことで、気付いてみれば、自分にも充分以上の恵みが注がれているものです。では、私たちがマリアさまに向かって「しあわせな方」と呼ぶとき、どんな意味においてそう言うのでしょう。それは、うらやましい…というよりも純粋に祝福の気持ちを表したものであり、また、大きな器を持っていることへの賞賛でもあります。しかし、マリアさまの幸せは「大きな器を持っていること」に留まらず、そのことに自分で気付いていることにもあります。頂いた器の大きさを知っていればこそ、それを水平に保ち、最大限に恵みを受け取ることができるのです。
私たちも、自らの器を水平に保つことができれば縁の縁まで恵みで満たされ、マリアさまと喜びを共有できるようになるのでしょう。
ENO
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