週日のみ言葉と福音朗読

今日の『み言葉』(聖書朗読箇所)をよく噛んで、ゆっくり味わいながら頂くように致しましょう。
 
『み言葉』はリンク先「今週の聖書朗読」で読むことが出来ます。どうぞご利用下さい。
 
 
音符のイラストのところをクリックすると、朗読を聴くことが出来ます。
 
朗読者:石川裕美
22      待降節12月20日 ルカ 1・26−38
 
 福音はルカから「イエスの誕生が予告される」と言う段落です。所謂天使ガブリエルによる乙女マリアへのお告げですが、この段落の中心はイエスがメシアッッキリストで在り、神の子で在ると言う啓示で、此れとの関連でマリアの処女懐胎が示されます。「神の子」と処女懐胎との関係理解には、前提としてルカ以前の初代教会の「神の子」の思想を念頭に置くべきです。それはパウロ以前の伝承、ロマ書1:3-4に在る「御子は、肉に依ればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊に依れば、死者の中からの復活に依って力在る神の子と定められた」と言う信仰定式です。
 
 此処でイエスが神の子と定められたのは復活に依ってとされています。そして復活前のイエスをダビデの子孫として、此れを復活後の神の子と在る程度対置させています。しかしマルコ福音書に於いては、イエスが神の子で在ると言う認定がイエスの洗礼にまで遡りますが、ルカはマタイと同じくイエスの出生の時点にまで遡らせます。更に、神の子をダビデの子孫と対比させず、ダビデの子孫たる身分を更に説明する「神の子」で在るとしています。この二重性はイエスへの最高法院での尋問、「お前がメシアなら、そうだと言うがよい」と、「では、お前は神の子か」に現れています。
 
 神の子と処女懐胎との関係理解のもう一つの前提は、復活の主は全ての者の主、ユダヤ人のみならず異邦人にとっても主で在ると言う事です。そしてルカに於いては人間としてのダビデの子イエスの理解にこの普遍性が内包され、このキリストの普遍性においてこそマリアの処女懐胎の信仰が深く根を下しています。すなわち、異邦人にとっても主で在る使命を受けたイエスは、ユダヤ民族と言う一民族に決定的・必然的に束縛されてはならないと言う事を意味しますが、その為にイエスを産む母親がユダヤ民族の決定的な構成要素、必要不可欠な構成員たるユダヤ人男性と完全に結ばれないと言う形が必要です。
 
 ユダヤ人にとって男性:女性で無く:男性が一民族成立の不可欠要素ですが、女性から男性を介さずに生まれると言う事は、一民族の決定的結びつきから離れる事となると言うルカ神学が在ります。
 
飯田徹
待降節12月20日 ルカ1・26−38.mp3
 

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Last updated: 2015/8/19