弟子の心
「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」(マタイ10:7−15)
今日のマタイの福音書では、12人の弟子たちが宣教に向かうにあたって、イエスの派遣のことばが述べられています。「何も持たないで行きなさい」とは宣教活動する弟子たちの姿勢です。物にとらわれたり、物を求めたりしないで、イエスのことばだけを頼りに宣教に出かけましょう。
「ただで与えなさい」ともイエスは言います。弟子は自分の時間、自分の能力、自分の感情、自分の信仰をおしみなく与えなければなりません。なぜなら、自分が持っているものはすべて、神さまから無償で受けたからです。私たちのなかにあるものはすべて神さまからの賜物、そして神さまを通して出会った人びとからの賜物です。寛大に報いを求めず、神さまと人びとに戻すものなのです。
弟子たちは神さまの道具ですから、心の貧しい者として、わずかなのもので満足し、勇気(信仰)をもって神さまのみ旨に従っていくのです。宣教の結果が、たとえ拒絶されたとしても、気にする必要はありません。足から埃を払い落とし、ただひたすら、神さまのメッセージを伝えることに励みましょう。
マザー・テレサは「わたしは神さまの手のなかの小さな鉛筆にすぎない」と言っています。鉛筆できれいに字を書くためには、身を削らなければなりません。わたしたちもイエスの弟子なら、身を削りながら働きます。捨てられるまで。
A.C
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