「収穫は多いが、働き手が少ない」という今日のイエス様のことばをどう捉えたらいいのでしょうか。
多くの宣教師・宣教女の長年の宣教活動にもかかわらず、信徒数が増えない日本です。第二次世界大戦直後の信徒数は日本と韓国はほぼ同数でしたが、現在の韓国のカトリック信徒数は日本の七倍以上といわれています。そういう状況にいる私たちにとって<収穫は多い>といわれても、ピンとこないのが現実です。
日本の教会に宣教力というものが弱くなっているのは、実は、主イエスが「収穫が多い」といわれたときの、収穫の豊かさをみることができないところに原因があるのではないでしょうか。この収穫の豊かさは、神のまなざしのもとで、初めて見ることのできる豊かさなのでしょう。大きい教会を建てるとか、信徒数が増えたとか、著名な学校になったとか、その観点からはみえない豊かさに違いないと思われます。
神さまの深く憐れむ心をもたなければ見えないもの。それは「飼う者がいない現実からくる愚かさ」の状況なのだと思われます。
Joseph.M
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