昨晩、全ての仕事を終え、疲れきった身体に鞭打って5人分の夕食の皿洗いをしました。「誰もやらなければ、しょうがない」って、兄弟愛のありがたみにブツクサ文句を言っていたのも束の間、「でも…人間やっぱり、自分が疲れた時だからこそ謙虚になって、人の笑顔をつくれるような事を進んでやらないといけないよなぁ〜」って思いつつ皿を洗っていると、『行って、持っているものをことごとく売り、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を蓄えることになる。それから、私に従いなさい』と言う福音の箇所が脳裏に飛び込んできたのです。
一日の司牧で自分の持っているものをことごとく使い切った後、自分の中には疲れだけが残っている“もう何もしたくない状態”……でした。「私は疲れたけれども、他の人の笑顔がつくれるならば…」って思えた時に、「もうちょっとやってみよう!」と皿洗いに力が沸いてきた!!!……「今日一日、ことごとく持っているものを使ってくれたよね…でも、もうちょっと“善い”ことをしてくれる???」という働きかけが、辛く感じる時(=らくだが針の穴を通る痛み)にこそイエス様から起こるから、それに応えてみる……!イエス様の事を金持ちの青年は「善い」と言った理由が、昨晩、なんだか理解できました。
『持っているものをことごとく施しなさい……それから、私に従いなさい』とイエス様は言います。全てを使い切って何もなくなった後にこそ、本当にイエス様に従っていくことも出来てくるのでしょうね……きっと……。
FR.NAO
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