小銭を入れてジュースも、お菓子も、ラーメンなどもすぐに手に入る生活に慣れているインスタント時代の私たちには、「待つ」こと、静かに待って見守るということに困難を感じています。何でも「早く」得られることに期待しがちな私たちにとって、イエスのこのたとえ話は印象的です。急な変化と結果はめったにないことを諭させるたとえです。
人生の変化・・聖変化には人間の活動やイニシアチブよりも人間の開きと協力が要ります。後は神様のペースに委ねるほかはないのでは・・と思います。
早く人を「信者にする」焦りが、「信じない信者」を生み出すこととなり、この現状は日本でも見られるのではないでしょうか。「実る」までのステップは、決して飛ばせるものではないのです。
じっくりと「福音化」をせずに進もうとするならば、「秘蹟化」も上手く行かないのは当然のことと言えます。天の国は人間に働かれる神様の業ですが、神様のスピードには永遠の余裕があります。
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