今日読まれる短い福音の中で、イエスのところに来る二つの立場の人々がくっきりと対照的に描かれています。それはイエスに救いを求め、一行に食事をする暇さえ与えないくらいに集まってくる群集と、「あの男は気が変になっている」と言ってイエスを取り押さえにきた身内の人たちです。神の国を宣べ伝え、病気を癒すイエスのうわさが広まるにつけて、出身地、親族の間で彼は受け入れられていなかったことが窺えます。
もちろん私たちはイエスを変人と思うことはないですが、それでもこの群集のようにイエスを本当の救い主と信じ、その言葉を聴き、その力ある業を体験するために、イエスに出会うことを望んでいるでしょうか。もしかしたら惰性的になんとなくイエスの言葉を聞き流してはいないでしょうか。救いを求めて必死になってイエスに近づこうとする群衆の態度は私たちに信仰者のあるべき態度を教えてくれています。
missin sdb
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