今日の福音の前半部分「どうして断食しないのか」というくだりは、直前の記事(土曜日の福音箇所)の「どうして罪人と一緒に食事をするのか」という内容と呼応しています。
それぞれの主語は「あなたの弟子たち」と「彼=イエス」となっていますから、イエスと人々とが食事を共にすることの理由が双方の視点から問われ、また答えられていることになります。ですから、そういった視点から改めて良く読み込んでいき、イエスと食事を共にすること、即ちミサとは一体何であるかをじっくりと考えてみるといいでしょう。
また後半部分では、この方法が新しい時代に向けた新しいやり方であるということが説かれています。旧約の象徴とも言える洗礼者ヨハネの時代からイエスによる救いの時代へと移り変わって行くとき、今までとは違った新しい方法が選ばれました。そして、この移り変わりは「遠い過去の一回限りの出来事」ではなく、一人ひとりに救いが訪れるときに幾度となく繰り返されていくことですから、救いを体験した人は今までとは違った、新しい生き方を選び取って行くようになります。
ですから、救いとは何かを受けるばかりではなく、自らが生き方を変えて行くことにあるとも言えるのではないでしょうか。
eno
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