「あなた方の悲しみは喜びに変わる」と主は言われました。しかし、たとえ主の受難・死・復活といった救いのできごとが、歴史上ただ一回限りのことだとしても、それによって全ての人が完全に、一遍に救われたわけではありません。救いは、私たち一人ひとりにおいては、時を選んで「折に適って」与えられるものです。救いというものは私たちの気付きを待ちつつ、少しずつ(段階を踏んで)体験されていくものです。私たちの生活に、依然として喜びと悲しみが混在しているのは、そのためです。
では、弟子たちが悲しみから喜びへと乗り換えることができたのは、どうしてだったでしょうか?それは「苦しみの理解」を通してです。弟子たちは、苦しみの裏に隠された意味を知ることで救いを体験しています。もし私たちが「人々に救いをもたらしたい」と考えるのならば、意味の見え難い苦しみを極力排除し、必要な苦しみの意味が見えやすくなるように務めることです。その過程で、自身もいくつもの救いを体験することができます。
Eno
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