依存という言葉があります。他のものによりかかって成り立ち、生きるという意味ですが、一般的には良いイメージが持てないかと思います。それはアルコール依存症とか、薬物依存症といったように、人間の生きるよりどころか、滅ぼすことにもなりかねないものにもつながっているからです。
しかしながら私たち人間というのは、何かによりかかって依存していなければ生きていけない存在であることは間違いありません。そのよりかかるものが何であるかが大切です。
イエスがたとえる羊も依存する動物です。大変に視野が狭いために、群れをなして、導く羊飼いがいないと危険な場所に迷い込んでしまうこともあります。ですから、羊は羊飼いに依存していれば、いつも安全で、傷き、迷うことなく生きることができます。
人間である私たちも、弱く依存的な存在なので、しばしば傷つき、迷います。また視野も狭く、罪を犯し、判断を間違えることもよくあります。そのために羊のように導く者がいなければ危険な場所に迷い込んでしまいます。
私たちを安全に、迷うことなく導いてくださるのは神だけです。だからこそ私たちが本当によりかかり依存しなければならないのは神であるということを忘れてはならないでしょう。
神に依存するということは、信頼をもって、自分のすべてをゆだねていくことです。ゆだねることによって、神の大きな力が私たちの中で働いて、どんな困難をも乗り越えて行けるのではないでしょうか。
NICCHI
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