「わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、誰も私のもとへ来ることは出来ない。」(ヨハネ6:44)
実際に第1朗読の中では、エチオピア人の宦官が、「手引きしてくれる人がいなければどうしてわかりましょう」と言っており、彼はフィリポの手引きを通して御父から引き寄せられ、洗礼を受けるに至っているのは、興味深いところです。
私たちには「手引き」が必要であり、神様はいろんな形でそれを与えてくださっています。
皆さんも、文字通り手を引かれて導かれた体験があるのではないでしょうか。私は幼い頃、よく母から手を引かれて電車が通る広い道を渡ったものです。いつしかその母の手をもう必要としなくなり、自分で自分の道を歩むようになりました。そして今は、その母が私の手を必要とするようになっています。
私たちは、聖母マリアさまから手を引かれて信仰の道を歩み始め、そして今も歩んでいるわけです。そのマリア様に感謝して過ごしましょう。同時に私たち自身も身近にいる人の「手引き」をする力と恵みが与えられるよう、マリア様の取次ぎを求めて祈りましょう。
mickey sdb
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