人間の現実を見て、悟り、確かめるイエスの目は、人間の体も心も人生も満たされていないばかりか危険な状態にあることを見せるイエスの心の窓です。
人間についてのこの心配を弟子たちと分かち合う方法で解決を促す素晴らしさがイエスに見えますが、複雑な状況にいる人々を「助けたい」イエスの慈しむ心から湧く質問が今でも聞かせられています。
人々のために尽す?やる気?が弟子(の私たち)に乏しく、真っ先に自分の困難さを伝える(私たちの)反応にイエスが驚いたような感じです。奇跡の後もそうです。食べて満腹し、驚くことしかできなくて、いつまでも?助かりたい?群衆の反応にまだ神様の計らいを感じることの鈍さを不思議がるイエスは一人で退き、自分を支える糧をおん父に求めに行く姿はまた感動的だと感じています。
O.P
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