《 国内ボランティア活動報告 》
最後に、2回目のボランティアで引率を担当してくださった
田村宣行神父様(92フィリピン、96パプアニューギニア)
そして、今回のボランティアの機会を提供してくださった
濱崎敦神父様(95パプアニューギニア)にも
感謝申し上げます。
どうもありがとうございました!
7月26日〜28日(第1回)と8月14日〜16日(第2回)の日程で
放射能汚染からの避難生活を強いられている福島県の子どもたちのために
少しでものびのびと遊べる時間と時間と場所を提供することをねらいとして、
「野尻湖のびのびサマーキャンプ」(三重・福島キャンプと滞在ネットワーク
〔代表:高山博美〕主催)が行われました。
DBVGとしても微力ながらお手伝いとして参加してきました。
第1回キャンプでは、10ヶ月の赤ちゃんから14歳までの子どもたち26名と
お母さん方14名に、22名のボランティアがスタッフとして加わり
総勢62名のキャンプとなりました。
2泊3日と言う限られた時間の中でのキャンプでしたが、
湖でボートに乗ったり、泳いだり、流しそうめんやスイカ割りを楽しみました。
また、夜にはアパッチ宮原さんご夫妻による絵本の読み聞かせや
民族楽器の演奏会もあり、最後には皆で行列を作って思い思いに踊って楽しみ
ました。最終日、いよいよ山荘を出発する時、参加者、スタッフ62名全員が
食堂で輪を作って「一人の小さな手」を歌い、一人一人「一言感想」を
分かち合いました。前の晩に高熱を出して急遽病院で診てもらった女の子の
お母さんの涙に、笑顔の向こうにあった現実を感じさせられました。
「私たちは、体のどこか一か所でも傷を負えば、全身で痛みを感じるものです。
私たちは「日本」という1つの体として結ばれています。
今、震災と原発事故によって引き起こされた放射能汚染で苦しんでいる
福島の人たちの痛みを、福島に住んでいない人たちも感じている。
皆で共にこの痛みを乗り越え、希望を持って未来に向かって行きましょう!」
・・と、締めくくりました。
ボランティアに参加したDBVGメンバー:キク、タカハル、ナオト、モナコ、
それに一緒に加わったチエさん、ケイタさん、ご協力ありがとうございました!
キク曰く、「ボランティアのスタッフの人たちが素敵でした。」
確かに! 福島の方々を応援しようという同じ思いのもと、
元小学校教諭の高山さんの明るさと元気をはじめ
オーガニックの自然素材にこだわって料理をしてくださった岡田さんとその仲間たち、
社交性あふれる引率者の佐藤さん、民族楽器で和ませてくださったアパッチ宮原御夫妻、
おもちゃを持参して子どもの遊び相手、話し相手をされた三谷御夫妻、
ヨガを通して心も癒した湯谷さん、傾聴に努めた国石さん、
大石親子、井上さん、、、一緒にお手伝いをさせて頂き、ありがとうございました。
【 被災地支援活動報告 : 「野尻湖のびのびサマーキャンプ」参加報告 】
6時程かけて夕方4時頃にカリタスジャパンの米川ベースに到着。元々地域の集会所であったこの場所に宿泊させていただきました。
この米川ベースから南三陸ボランティアに派遣されての活動は、まだまだ多く残る瓦礫撤去、漁師網の手入れ、収穫したわかめの出荷準備
そして、間近にせまる3月11日のための折り鶴作りetc...
朝7時にベースを出発して南三陸に移動。それぞれの担当場所で作業をします。
今回現地に行ってみると、25名程のボランティアの方たちが活動をなさっていました。
震災直後から活動を継続していらっしゃる『シスターズリレー』のシスターたちには食事の準備もしていただいて感謝でいっぱいです。
作業後は温泉で体を温め、夜は分かち合いを持ち派遣の日々をすごしました。
建物の上には当時のまま車が乗っていたり、最期まで住民に非難を呼びかけ続けた女性のいらした庁舎もそのまま残っていて
メンバーそれぞれ多くのことを思い、祈り、働いた3日間でした。
2月23日〜25日 第4回被災地支援活動ボランティアに行って来ました。
5月2日から5日にかけて、仙台教区サポートセンターを通して被災地支援ボランティア活動を行ってきました。
参加者は、DBVGから9名と調布サレジオシニア志願院から5名の計14名。内1名はDBVG09派遣メンバーで
仙台出身の渡辺顕一郎さんで、現地からの参加でした。また、4日には更に4名の神学院哲学生グループも合流しました。
かなりの渋滞を予測して、2日の夜11時に車2台で出発。途中で休憩や仮眠を取りながら元寺小路教会サポートセンターを
目指して3日朝8時に到着。
カリタスジャパンの成井大介神父(神言会)が迎えてくださり、被災地支援に当たっての心構えや注意事項を話してください
ました。
その後、今回私たちが行う支援活動先:東松島市の新東名に移動しました。(4名は仙台市内にて引越し作業)
この地域でボランティア活動の指揮をしておられる立石牧師(改革派)の元で私たちが割り振られたのは
津波被害を受けた1件の家の清掃作業で、東京基督教大学からのグループと一緒に作業をしました。
この家は津波による高さ約170cm程の浸水被害を受けており、庭や住宅周辺の掃除と床をはがしての土砂除去の清掃を
行いましたが、土埃と汗にまみれての作業となりました。
夕方4時に作業を終了、1時間半かけてサポートセンターに戻りました。
お腹も空いていましたが、まずは入浴が必要でしたので、また車で温泉に出かけ戻ってからの夕食となりました。
夕食後は休憩、皆で振り返りと分かち合いの時を持ち就寝。
2日目も同じ作業を行いましたが、丸山さんと藤井さんの2名は、カトリック児童福祉会が運営している3つの老人ホームの
慰問を行いました。 藤井さんは「麻丘めぐみ」として代表曲を披露し、被災された入居者とスタッフの皆を元気付けた様です。
今回、実際に支援活動を行えたのは僅か2日間だけでしたが、被災地での支援活動を怪我も事故も無く行うことが出来て
ほっとしました。被災地の様子はこれまでに、新聞の写真やテレビの映像などで見てきてはいましたが、自分の目で見、足で
歩き、手を動かして 被災した現場にリアルに触れ、また、人と出会い、様々なを抱き、心に感じて、考えることがありました。
毎晩、私たちのグループでは一日の活動を振り返り、思うがまま感じたままを分かち合うひと時を持ちましたが、やはり今回の
支援活動で見たもの感じたことを受け止め、自分の心の中の整理をするのには少々時間が掛かりそうです。
しかしながら、引越し作業に携わったDBVGの青年が「被災された方にとっては私たちが行ったその具体的な支援も必要だけれど、
彼らの笑顔を見たとき、私たちが現場に来て手伝ってくれたという〔つながり〕の方がより大事だったのではないかと感じた。」
と話してくれたことが印象に残りました。また、東松島では他の様々なグループと一緒に支援活動を行ったのですが、「初めて会う
人だけれども、方向性の一致によって協力性が生まれてくると言うことに、作業をしながら気付いた」と語ってくれたメンバーも
いました。青年たちも今回の被災地支援活動を通して、いろいろ考え、気付き、学ぶことができたようです。
今回、このような形で私たちの「支援したい」思いを具体的な活動に結び付けてくださったサポートセンターの皆様、
ボランティアワークのスタッフの方々、現地の方々に感謝します!
これからもDBVGとして私たちの出来る仕方で支援を続けて行けるように、
現地での支援活動を支えておられる方々に励ましが与えられますように。
そして何よりも被災された方々に力が与えられるように、引き続き祈りを捧げたいと思います。
PS. 後日、立石牧師より連絡があり、今回私たちが作業した家の庭の所に手紙とドリンクが置いてあったとのこと。
それらは家主からの礼状で、とても喜ばれていたとの報告を頂き、ほっとしました。
立石牧師からもお礼の言葉を頂きました。家主もきっと、少しでも綺麗になった家を見て、前向きな力が得られたのではないか
と期待しています。
【 村松泰隆神父 】
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【 東日本大震災被災地ボランティア活動報告 】
●長らく純粋に人道支援活動に携わる機会に預かっておらず、久しぶりの浜松派遣がとても新鮮なものに感じられました。
不安だったのは私自身から「支援する側」という気配のようなものを、ホームレスの方々に感じさせてしまうことでした。
ですから、私は支援する人、支援される人という意識の区分が生じないことを祈りました。
幸いにも、夜中の炊き出しでは集中して取り組むことができたのは神様のお恵みであったと思います。
印象に残っているのはその晩の分かち合いでした。
炊き出しに並んだ人々がみそ汁のおかわりや、日用品を受け取りに我々とコミュニケーションを取っていた風景について、
「そのように依存できる関係が成立している。」という意見が述べられたのです。
これは浜松教会の人々による長年の結晶である気がしました。
私にとって人のために活動している時というのはとてもシンプルな感情であることが分かりました。
昔から今に至るまで人は互いに助け合いながら生きてきました。
ですから、このようなシンプルな感情を抱いたのも、助け合うことが生理的なものであったからかもしれません。
今後も、頑張って人の心と自分に向き合ってゆこうと思います。
2010年7月10日〜11日 浜松ボランティア(夏)行って来ました。
2007年7月11日〜12日浜松ボランティア参加報告
私が感銘を受けたのは、浜松教会の支援グループがブラジル人の主導によって発足し、
日本人と共に15年間も活動を続けていることでした。まだブラジルの人々が移住して間もない頃に
地域の日本人が温厚に彼らと接した、その時の感謝の心が、今の活動の始まりだと聞きました。
きっと、支援活動を続ける中でより多くの感謝や喜びが生み出されてきたことだと思います。
私はふと「感謝は連鎖しているのかな」と感じました。
文化の違いや言葉の壁を越えて、彼らの思いが点ではなく線となって連綿と
続いているのは、とても尊いことです。
そんな共同体の中で働くことができ、とても幸せであったと振り返りました。
私自身、実生活の中で抱く感謝の心を他の人へしっかりと繋げてゆけるよう
にしようと思いました。
慣れないおにぎり作りに悪戦苦闘中
2009年3月14日(土)の定例会報告
午後6時から一人、二人と集まり始め、7時頃にはDBVGの部屋はすし詰め状態でした。
この日は、不況のあおりで職を失い、食べる物を買うお金にもこまっている日系ブラジル人の人々への
支援を行なっているカトリック浜松教会へ、ボランティアに行ったときの報告がありました。
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浜松教会では、月謝が払えずにブラジル人学校を辞めざるを得なかった子どもたちのために
週3回 (月、水、金) 教会で勉強を教えています。
3月5日(木)の夕方に浦田神父様、松永神学生と一緒に車で出発した私たちは、
6日(金)の午前中は子どもたちとそれに関わっている人たちのための大量のお昼ご飯作りを手伝いました。
美味しそうに食べている姿を見ていると、こちらも嬉しくなります。
午後からは、折り紙や私たち手製のカルタで子どもたちと遊んで過ごしました。
言葉が通じないために苦労しましたが、DBVGで海外に行った経験が生かされ、
言葉の壁をアイディアと工夫で乗り切れたことは自信になりました。
日本語が分からない彼らのために、黒板に「あ」「い」、、と書いてあげると、
読み上げたカードに大騒ぎで飛びついていました。
私たちは、勉強したくても学校に行くことができない子どもたちがいる現実を初めて知りました。
ブラジルから日本へ来たことで、ポルトガル語も日本語も書けない中学生もいました。
学校に行けるのは当たり前のことで、いやいや勉強していた自分の恵まれた環境を
今更ながら感謝した一日でした。
母親が保育園を経営していて、自分も時々手伝っている友人から
「ボランティアとして関わっている人たちに保育の知識があると、もっと上手に関われるのではないか」
という意見がありました。
ちょっとした事でも違ってくるのではないかと思います。
私たちは、言葉が通じない故の限界を感じながらも、「今の自分たちに出来る事は何か」を皆でわかちあいました。
DBVGでは毎月の定例会で、浜松のための貯金をしよう。と話し合っています。
浜松教会では、皆さまからのお金と食料の支援をお願いしています。
詳しくはカトリック浜松教会のホームページ
http://www.geocities.jp/hamamatsukyokai/ をご覧ください。
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●2007年に浜松ボランティアで派遣されて行った時には日本人ホームレス支援を浜松に住む外国人の方と共にしました。
その時に比べ、状況の変化に本当に驚きました。外国の人が日本で暮らす大変さをしみじみ感じてしまいました。
これから教育現場に携わっていく身である自分にとって今回見て感じた事に今後のまだ答えの見えない課題を思いやりました。
●DBVGや教会の人達だけでなく、地元の中学校の生徒たちや老人ホームの人たちとの交流もあり、思った以上に色々な日本人が子どもたちに
手を差し伸べてくれている事に驚きと感動を覚えた。
●日本にいながらポルトガル語の世界に生活している彼らに、日本人との距離感、違和感を感じずにはいられなかった。
自分と違うものに対して不安感があるのかも知れない。
●去年ボランティアで浜松に行った時には
この就学支援のスタート時だったので、子どもたちのほとんどが
日本語をしゃべれない状況でしたが、
子どもたちの日本語がもの凄く上達していて驚きました!
週3回の学校での成果がこんなに表れていて凄いです!!!
静電気を使った不思議体験の授業をしたり、子どもたちと食べたり遊んだりの2日間でした。
●子どもたちが「すごく素直でしっかりしている」印象を受けました。
同時にそういう子たちだから学校に集まれたのかな、、とも・・
ここに来れない子もいるんだろうな〜 と多くの子どもたちの事を
考えてしまいました。
実際、ブラジル人の犯罪は増加してしまっているし、
親に仕事が無い。⇔ 国へも帰れない。
彼らの行き場が無くなってしまっている・・と強く感じました。
2010年3月2日〜3日 浜松ボランティアに行ってきました。