ファリサイ派の人々たちにとって断食するということは律法を守ることである。彼らは律法を守ることを何よりも大切にしていた。それによって救いがもたらされると考えていたからだ。そして律法を守れない人を「罪人」として軽蔑していた。無数の貧しい人々は生きていくことで必死で、律法を十分に守れなかった。それで彼らは、軽蔑され、差別されていた。ファリサイ派の律法主義、断食は、貧しく苦しい状況に置かれている人々をますます苦しめていた。
これに比べて、イエスの弟子たちの断食は、貧しい民衆の苦しみに連帯する。彼らの苦しみを共に苦しむ。私たちキリスト者たちの断食、犠牲は、神の愛そのものである十字架上のイエスと一つになるとなって、貧しい民衆の苦しみに連帯するということだ。
Tsujiie
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