「何かがきっかけになって急に物事の真相、本質がわかること」ということわざのもとになったのが今日読まれるパウロの回心の物語。パウロは文字通り、光輝くイエスの出現によって見えなくなっていた状態から、アナニアの言葉によって目が見えるようになった。しかし「見えるようになった」ことの本当の意味は違うところにあることを私たちは知っている。
回心とは心の方向転換。私たちも本当のものと出会い、真実なものに気づくとき、目からウロコが落ちるように心にふさがれていた蓋のようなものが取り払われてその真実なものに開かれていく。本当の方、イエスに出会い、目が開かれ、主に向かっていったパウロにならい、私たちも今日、心を開き神に向かっていきたい。
missin
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