私たちの社会はマス・メディアの力が強すぎるためか、ヴィジュアルな世界で華々しくふるまうこと、目立つことが生きる上で得なことであり、価値あることと思いがちです。このような価値観に基づく分野があることは事実ですが、すべての分野についてそうであるわけではありません。
目立つことを良しとする考え方は今の時代だけではなく、イエスの時代もそうだったようです。イエスはこのような考え方に対して人々の目には隠されていて見えないふるまいに価値があることに気づくようにと教えられます。そもそも何のために良いことを行っているのかという目的意識をはっきり持っているなら、理解していることを実行するだけで十分なはずです。誰かが見ているかどうかはここでは重要ではないのです。他人のために良いことを実行していることと他人のためとはいいながら自分のために良いことを実行していることとの違いは自ずと周囲の人々に伝わっていくものです。
古代中国の思想家孔子のことばを集めた『論語』に「巧言令色鮮(すく)なし仁」ということばがあります。ことさら他人の気を引く行為で外見を飾る者には本心(真心)がないという意味です。本当のことはことさら強調しなくても自然とあらわれてくるものです。ことばや行為で外見を繕うのは、事実がことばや行為よりも劣っているからです。私たちが純粋に他人に喜んでもらうこと、神様に喜んでいただくことを考えて物事に当たるときに一人ひとりの素晴らしさが自然とあらわれてくるものだと思います。
T.K
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