1930年、インドで「塩の行進」が行われました。ガンジーが海岸で海水から塩を採取するようになると、彼に倣った大勢のインド人たちが塩を採取し始め、自分たちで使う塩のみならず同胞たちにも塩を供給するようになります。ガンジーは塩の行進を思いつくことにより、インドに新たな社会契約を打ち立てようとしました。それは、「インドが自立するためには自国の資源、知恵に頼らなければならない」と。そして、インドが自立するために、「まず自給自足から始めよう!」として、インド国民が自力で、すべてを賄う決意を通して自信を回復させようと考えたのです。その後、塩の行進は植民地支配に対する抗議運動のモデルとなりました。塩が起爆剤になったというお話です…。
大切な事は、私たち自身が「世」のため、「人」のため=「誰か」のための、そして「社会の福音化」のための起爆剤になっていますか?です…!身体に塩が不可欠なように、神様にとって、私たちの“いのち”は大事だと言います!そこまで尊い“いのち”として、神様は私たちのことを思い“塩であり・光である”と言います。
今、あなたは生きている自分が「なかなかいいぞ!」と思えますか?それとも、何か塩気が薄いあの感覚……「ちょっと、まだ物足りない」と感じますか?自分の人生にも、いのちにも、「物足りなさ」を感じるなら、この与えられた“あなたのいのち”を徹底的に「弱くされた人々・貧しさにある人・小さくされた人々」のために使ってみて下さい。facebookの中で、被災地で頑張っている若者の姿が、大きな「光」となって見えるこの頃です。
FR.NAO
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