フィリッポはベトサイダの出身で、イエスの最初の弟子の一人です。イエスは彼に出会い、「わたしについて来るがよい」(ヨハネ1,43)と仰せになりました。フィリッポはすぐイエスに従っただけでなく、信仰に燃えて、「旧約時代の預言者によって告げられた救い主に出会った」と言って、友人ナタナエルをイエスのもとへ誘いました。
フィリッポは既に二、三年の間、イエスと行動を共にしています。ところがそんなに長く一緒にいたのに、彼はイエスを理解できていませんでした。それでフィリッポは、「主よ、私たちに御父をお示しください」(ヨハネ14,8)と願いました。ヨハネ福音書では、知るとは、相手について断片的な知識を持つ事ではありません。彼は、(知る)と(見る)、(信じる)と言う言葉を同じ意味で用いています(ヨハネ12,44-45)。
フィリッポは肉眼で父を見たいと言います。地上的な考え方で父を求めているのです。原則として、「神をありのままに見た人は誰もいません。それでも神は私たちに全く見えないわけではありません。神は、私たちが完全に近づく事ができない御方ではありません。イエスの内に私たちは御父を見る事が出来るのです」とあります。イエスは、信仰によって自分を受け入れるなら、父との交わりに加えられる事を教え、「私を見た者、知った者は、父を見た、知ったのである」と答えます。
Fr.Tadeusz
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