ファリサイ派でユダヤ議員のニコデモがひそかにイエスを訪れて対話をした話の続きです。ニコデモがイエスのところに来たのはイエスのことを何者かとして認めて受け入れたからでした。この行為は今朝の福音書のことばでいうと「光を受け入れた」ので「光の方に来た」ことになります。さらにこのことはニコデモが真理を求め、善いことを行う正しい人であることを表しています。私たちは自分ではどれだけ意識しているかわかりませんが、私たちが意識的、無意識的にとっているすべての行動がその人自身を表している事実です。
私たちが日ごろどんなにすばらしいことを語っても、どんなに外側の見栄えを良くしても、その人の人間性、真の姿は私たちが考えもしない形で人に伝わっていくものです。私たちの心が何を求めていて、いつも何を見て生きているのかということが問われているのでしょう。
さらにイエスははっきりと直接に表現されていませんが、文脈からするとニコデモのとった行動を評価し、彼のことを褒めています。しかし褒めて終わるのではなく、「その行いが神の導きによってなされた」とイエスは言われます。ニコデモも私たちもそうですが、人は神の導きがあればこそ正しいことを実行できるのです。私たちは人間ですからミスがあります。正しいと思っていたことがそうでなかった現実に何度も遭遇します。それでも正しいことを行いことができるように神の導きを謙虚に願う姿勢を大切にしたいと思います。
T.K
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