マグダラのマリアは、復活されたイエス様と出会いますが、それがイエス様だとは気づくことが出来ませんでした。イエス様の御遺体に香料を塗ろうと、週の初めの日の明け方早く(ルカ24:1)に墓場に来るほど、深くイエス様のことを愛していたにもかかわらず、イエス様の姿を見ても気付かなかったのです。まだ、復活の意味をよく理解しておらず、真に「復活」を信じることが出来ていないことによって、目が遮られていたからでしょう。
復活された主は、今も生きておられます。私たちのうちにも生きておられます。その生きておられるイエス様の姿を私たちはしっかりと認識しているでしょうか。
この復活節、復活に対する信仰に磨きをかけて、まだまだ私たちが気付かないでいるイエス様の姿をしっかりと見つけ、見ることが出来るようになりたいものです。そして私たちもマグダラのマリアのように、「私は主を見ました!」と出会う人々に証しできる者となれますように。「イエス様の復活」について考え、思い、語ることも大切ですが、その前に「復活のイエス様」と出会うようにしましょう。
mickey sdb
|