今日の福音は、最初から最後まで、イエスが直接私自身に向けて言われているのではないかと感じる箇所である。
律法の大原則というものがある。十戒である。それは、神、神の名、神の日、神が与えられた両親に対する畏敬の念。そして、人間の生命、所有物、個性、名誉、自分自身に対する畏敬の念である。
律法学者やファリサイ派の人々がこの律法の大原則を教える限りにおいては、それに従いなさいと、イエスは言われる。しかし、彼らは細かな規則を作りすぎ、宗教を耐えがたい重荷としてしまった。彼らはある意味熱心すぎるあまりに宗教の本質を見失い、横道にそれ、自分たちばかりか他の人々までも悩ませることになってしまった。
宗教は人に喜びを与えるものである。宗教は人を助けるものである。宗教は人を支えるものである。さて、私たちは人々を喜ばせ、助け、支える者となっているだろうか。私たちの掟に対する謙虚さが問われている。
Kita
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