私たちには未来が見えません。見えないものは未知のものとして不安を掻き立てます。結果、余裕を失い、苦しみがあればより苦しく、悲しみがあればより悲しくなるものです。しかし、理想を言えば、キリスト者はこの不安から解き放たれています。「私の後ろ盾は神御自身である」という確信はあらゆる不安を打ち砕くからです。未来の見えている神は、私たちの苦しみに意味を見出されます。その意味が見出せないでいる時、人はより苦しむものですが、同時に、神とのつながりを取り戻そうと必死になって祈ります。そして、ここにもまた、新たな意味が生まれます。悲しみや痛みを通して、本来あるべき神とのつながりを取り戻せるとしたら、それはどれほどの恵みとなるでしょう。
主の望みは、苦しみにあって絶望することではなく、苦しみにあって祈ることです。
eno
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