イエスは数々の例え話を通して『神の国』の奥義について話されたのです。その目的は何だったのでしょうか。イエスは神の国の為に生まれ、生き、死んだのです。イエスの人生にとって神の国は中心的や絶対的な課題だったのです。その為、イエスの例え話は、日常の経験から出発して、秘められた真理を理解させるようにするもので、今まで五感で感じられなかった事を感じるようにさせるのです。
確かに、この世界では、大変な値打ちを持つ宝物が存在しているのに、知られないままでいる事もあるでしょう。同様に天の国も計り知れない価値が存在しているのに、その価値が知られないでいる事もありえます。その価値がはっきり分かるのは、聖霊の力によって、私達の内なる神の御働きに私達が同意する時だけです。イエスは忍耐強く私達の自由を尊重し、埋められた宝や隠された真珠のように、自分で真理を発見するように導いてくださいます。宝を手にすれば、全く新しい人生が開けます。天の国を見いだす者は大きな喜びを体験し、あらゆる宝の中で最高の宝を手に入れる事になります。カトリック教会にとって七つの秘跡は素晴らしい宝の隠れた畑のようなものです。この秘跡には神の愛の働きが一杯含まれています。人間を動かすのは『愛』と『飢え』です。もう一つは『王』、即ち権威、権力が人を動かします。しかし、神の愛が歴史をつくったのです。最高の宝である愛を目指して行動していきましょう。
マタイは宝と真珠の二つの例えを結び付け、一つの比喩のようにしています。イエスは天の国を用例としてではなく、宝そのものとして述べられました。つまり、全てに勝って神を求め、神の為に全てを犠牲にしてもよいとう希望と勇気に満ちた決意を述べようとしています。
Fr.Tadeo
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