今日の福音では、病が癒される、罪がゆるされるという体験は、自分だけのもの、個人的なものであり得ないということが言われていると思う。中風患者が、罪がゆるされ、病が癒されたのは、彼を運んでくれた人々がいたからだ。この人々は神とイエスを信頼していた人々だった。罪をゆるしていただく、または心の傷を癒していただくということは、イエスのもとに行くこと、即ち神に立ち返ることによってはじめて実現するわけだが、他の人にお世話にならないと私たちはイエスのもとに行けないということである。人のお世話になるということは、自分のありのままを認め、それを受け入れ、謙虚にならなければできない。また他の人のありのままをも受け入れていかなければならない。罪のゆるしや癒しは、神との関係と同時に、他の人との関係の中で実現していくものだ。これまで自分に関わってくれた方々に感謝したい。そして今、私たちと関わりのある人々を通して実際にゆるしと癒しをもたらしてくださるイエスに信頼していきたい。
そして、今日の福音では、私たち自身も、傷ついている人や病に苦しんでいる人をイエスのものに導く存在になれなければならないということも言われているように思う。私たちは人と関わる時、知らない間に、その人を自分に引き寄せようとしてしまったり、自分が評価されることを求めてしまったりすることがある。自分を主役にしてしまっているのだ。そうではなく、私たちはあくまでも脇役に徹しなければないのだ。人に奉仕するということは、その人を教え導くということではなく、むしろその人とのかかわりを通して学ばせていただくという姿勢でなければならない。そうでないと、知らないうちにその人を傷つけてしまうことになりかねません。そして、何よりも第一の主役はイエスである。
Tsujiie
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