洗礼者ヨハネはイエスさまが来るべき救い主であることを弟子たちによって確認し、イエスさまはヨハネが預言者以上の者であることを認めています。二人は互いに存在を認め合っていたことがわかります。洗礼者ヨハネはヘロデ王によって斬首され、イエスさまはユダヤ人とローマ軍によって十字架の刑で亡くなりました。ともに神様のことばを伝え、正しいことを主張し続けたことが死の主な原因です。共通点の多い二人ですが、洗礼者ヨハネもイエスさまも人々から受け入れられない状況があったこともその一つです。どうして受け入れられなかったのでしょうか。それは福音書のなかに見られるように、二人とも相手が聞きたくないことやいやなことを恐れずに話したからです。話されたことを聞きたくないと思ったのは、事実だったからにちがいありません。他人を受け入れる入れないの問題はその人の心のあり方にかかっています。その理由は洗礼者ヨハネを殺害したヘロデ王は、自分に厳しいことをいう洗礼者ヨハネを避けたいと思いながらも、そのことばを積極的に聞こうとしたからです。いやだから聞かないのではありません。いやでも聞くことができるのが人間のすばらしいところなのではないでしょうか。
T.K
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